久しぶりに行ったコトがないインド料理の食材店(インドに限らないが)に初訪問。
今回は大塚にあるラフマニアというお店。
駅から歩いて3分ぐらいのところ。インド料理店SABAの近くです。
お店はとっても小さいです。
駅から歩いて3分ぐらいのところ。インド料理店SABAの近くです。
お店はとっても小さいです。
でも、実はこの日は、この食材店がメインではありません。
食材店で待ち合わせたmoosldさんと一緒に、この近くにある所を見学するのがメインです。
それはモスク。
イスラム教の人がお祈りする場です。
食材店で待ち合わせたmoosldさんと一緒に、この近くにある所を見学するのがメインです。
それはモスク。
イスラム教の人がお祈りする場です。
入口で靴を脱ぎ(私はヒンドゥー寺院の時のように靴下まで脱いじゃいましたが、靴下は穿いていても大丈夫)階段を上がって、見学を申し出ると、施設の人(パキスタンから来日)が優しい笑顔で快く迎えてくれます。
ただし、今は取り込み中なので10分だけ、上の部屋で待っててくれとのこと。
ただし、今は取り込み中なので10分だけ、上の部屋で待っててくれとのこと。
上の階(4階)は、事務所なのか何なのか、イスラムに関する本(洋書)が大量にある部屋。
そして、その部屋には一人のドバイから来た男性が居ます。
そして、その部屋には一人のドバイから来た男性が居ます。
この男性とお話しながら10分を待つ事になったのですが、、、、、
この方との会話は英語。。
ツライ。
つらかったー。
この方との会話は英語。。
ツライ。
つらかったー。
私は英語が苦手ですが、それ以上に、この方の行っている内容が困ったのです。
それは、まるで禅問答のような話。
例えば「机は大工が作った。では人間は誰がつくったの?」と質問されたり、。
(結局、すべて『神は偉大』という結論になる話)
日本語で訊かれても『なんと答えればいいんだー』って質問を、次々と英語でされる。
それは、まるで禅問答のような話。
例えば「机は大工が作った。では人間は誰がつくったの?」と質問されたり、。
(結局、すべて『神は偉大』という結論になる話)
日本語で訊かれても『なんと答えればいいんだー』って質問を、次々と英語でされる。
ほんの2分で私の頭はダウン。
もはや言葉を聞き取って理解しようと言う意志はなく、ただただ早く時が経つのを祈る。
もはや言葉を聞き取って理解しようと言う意志はなく、ただただ早く時が経つのを祈る。
*この男性はコーランをよく理解されている方で、一般のイスラムに人にもコーランを教えるような人ではないかと推測されます。日本だけでなく世界中で活動されているようでした。(たぶん)
私も、そんな方に敬意は持っています。単に私の頭がついてかれなかっただけです。
私も、そんな方に敬意は持っています。単に私の頭がついてかれなかっただけです。
しかし、10分経っても施設の人は来ない。
あーーーー、つらい。
あーーーー、つらい。
その後、しばらくして、このモスクに来たスリランカ人男性が登場。
この方は、日本の大手企業に勤務している方で、日本語も話せて話もエンジニアらしく論理的。
この人に、いろいろとイスラムのことを教えてもらい、これは楽しかったです。
この方は、日本の大手企業に勤務している方で、日本語も話せて話もエンジニアらしく論理的。
この人に、いろいろとイスラムのことを教えてもらい、これは楽しかったです。
私はカレーに興味があり、そこから派生して、インドのいろいろな文化、風習にも興味を持ち、そのひとつとしてヒンドゥー教やイスラム教の本なんかも読んだりしました。
イスラム教って、暴力的とかテロとかのイメージが強いですが、ちょっと知ってみると、イスラム教って、なかなか面白そうですし、いいところがいっぱいあります。
でも、根本的なところが分かってないから、興味あるところを教えてもらいました。
「神様をどんな形でイメージしてるの?人の形なの?」→「形はない」
「存在しているって思うことは、何か形をイメージするんじゃないの?」→「形はなくても、存在していることは認識している。それは神以外でも見えなくても存在していると認識している物はあるでしょ。」
「存在しているって思うことは、何か形をイメージするんじゃないの?」→「形はなくても、存在していることは認識している。それは神以外でも見えなくても存在していると認識している物はあるでしょ。」
「メッカに向かってお祈りするのは、メッカに神がいるから?」→「神がメッカにいる訳ではない。世界のみんなの統一性を持たせるために発祥の地であるメッカに向かっているだけ。だから別の方向に向かってお祈りしてもダメではない」
「会社勤めで、1日5回のお祈りはできているの?」→「朝、昼、夜の2回はできるが、夕方の1回は勤務中でやれない。」
彼曰く、イスラム教の概念では、死後に天国と地獄があって、天国に行くためにポイントを集めている。多くお祈りすれば、それだけ多くのポイントゲットするし、同じお祈りでも一人でするより多くの人と一緒に行ったほうが高ポイントになるらしいです。(たぶん、異教徒に分かりやすく説明してくれた表現なのでしょう。)
彼曰く、イスラム教の概念では、死後に天国と地獄があって、天国に行くためにポイントを集めている。多くお祈りすれば、それだけ多くのポイントゲットするし、同じお祈りでも一人でするより多くの人と一緒に行ったほうが高ポイントになるらしいです。(たぶん、異教徒に分かりやすく説明してくれた表現なのでしょう。)
その他にも、いろいろお話を聞かせてもらって面白かったです。
その後、施設の人が来て、施設を見せてもらいました。
2階は、体をキレイにするためのシャワールームとお祈りの場。
イスラム教は偶像をおかないので、お祈りの場は、単なるスペースって感じ。
2階は、体をキレイにするためのシャワールームとお祈りの場。
イスラム教は偶像をおかないので、お祈りの場は、単なるスペースって感じ。
この日は子供たりがコーランを覚えるために音読してました。
意味は分からないですが、ソラで言えるようになるための練習のようです。(お経と同じだね)
意味は分からないですが、ソラで言えるようになるための練習のようです。(お経と同じだね)
3階は会議室のようなスペース。
この日は、これから入信式&結婚式があるというので、それも見学させてもらいました。
この日は、これから入信式&結婚式があるというので、それも見学させてもらいました。
その式っていうのが、そんなに厳かじゃありません。
半分、宗教的事務事項って感じ。
結婚を認める(受け付ける)人(=モスク側の人)も、コートを着たまま対応してるし。
いいの?
半分、宗教的事務事項って感じ。
結婚を認める(受け付ける)人(=モスク側の人)も、コートを着たまま対応してるし。
いいの?
そして、一番驚いたのは、その結婚式で男性から女性にプレゼントをあげるところ。
イスラム教では、結婚の際には、男性から女性になにか贈る事になっているらしいのですが、今回は指輪をプレゼントしてました。
で、その時モスク側の人が「で、これは幾らすんの?」と質問 (本当は英語です)
で、その時モスク側の人が「で、これは幾らすんの?」と質問 (本当は英語です)
『オイオイ、そんなの聞いちゃっていいのか?』と思っていたら、
新郎も「○ドルです」と普通に答えちゃってます。
新郎も「○ドルです」と普通に答えちゃってます。
さらに、その答えを聞いて、モスクの人が書類になんだか書いちゃってます。
はー?
はー?
イスラムでは、将来別れたときのトラブル回避のために、結婚の時に贈ったプレゼントも結婚の書類に記載しておくそうです。
『なかなか合理的なのかもしれません』
『なかなか合理的なのかもしれません』
異文化って面白い。
ココにはまた、行く日時を変えて訪問しようと思ってます。
<おまけの話>
初めの禅問答のような話が延々と続いた後、
「じゃあ、真似して」と言われ、
初めの禅問答のような話が延々と続いた後、
「じゃあ、真似して」と言われ、
(何と言ったかは忘れたのですが、)
「ラー、」「ラー」
「イラハ」「イラハ」
「イッララー」「イッララー」…
みたいな言葉をくりかえし復唱してた後に、
「ラー、」「ラー」
「イラハ」「イラハ」
「イッララー」「イッララー」…
みたいな言葉をくりかえし復唱してた後に、
「これで君もイスラムの仲間入りだ」みたいなことを言われて握手しちゃいました。
そういえば、ムスリム男性と結婚した日本人女性が、何か言葉を唱えるだけでイスラム教になったとブログで書いてたっけ。
・
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・
あー、オレ、いつの間にかイスラム教徒なの?
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あー、オレ、いつの間にかイスラム教徒なの?
注:イスラム教の教えでは、「イスラム教への改宗を無理強いしてはいけない。」となってます。
あれは無理強いではなかったってことなのね。(笑
あれは無理強いではなかったってことなのね。(笑
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<6月9日追記>
<6月9日追記>
かばんの中から、こんな物が出てきました。
『あー、そういえば、モスクに行った時にもらったんだ!』
『あー、そういえば、モスクに行った時にもらったんだ!』
それは、大塚のモスクに見学に行った時のこと。
おエラい先生のような人のお話が終わった時に、その人が手首にしていたコレを、
「それは何です?」と聞いてみたのです。
おエラい先生のような人のお話が終わった時に、その人が手首にしていたコレを、
「それは何です?」と聞いてみたのです。
まるで仏教の数珠とソックリだったので、興味を持って質問。
そしたら、やっぱり数珠のようにお祈りの時に使用する物で、念仏(とは言わないだろうけど、そういった言葉)を何度も唱えるとき、手に持ったこの数珠のタマを一つずつ動かしていくそうです。
「ラー イラハ イッララー モハマド ラスールッラー」、珠を一つ動かし、
「ラー イラハ イッララー モハマド ラスールッラー」、珠を一つ動かし、
「ラー イラハ イッララー モハマド ラスールッラー」、珠を一つ動かし、って感じで。
「ラー イラハ イッララー モハマド ラスールッラー」、珠を一つ動かし、
「ラー イラハ イッララー モハマド ラスールッラー」、珠を一つ動かし、って感じで。
『宗教違っても、考えつく道具って似たような物になんだな』というコトが興味深くて聞いてみただけですが、おエラい先生っぽい人が、
「じゃあ、これをあげるから、心が安らかでないときは、これを使って何度も言葉を唱えなさい」と、くださりました。
「じゃあ、これをあげるから、心が安らかでないときは、これを使って何度も言葉を唱えなさい」と、くださりました。
申し訳ない。
というより、、、
本当に入信したと思われてやしないかと、、、、怖い。。